漆芸家 田村 一舟氏
漆とは
漆は、漆の木の樹液を加工した塗料です。その歴史は縄文時代以前より始まるといわれ、当時は塗料や装飾に使われるだけでなく、石斧と握り手の接着などにも広く利用されていました。その後、漆が持つ防腐、殺菌作用から、大切なものを守るための家具や楽器などにも使われ、やがて美しい装飾を施した芸術作品となるまでに昇華。現在の日本各地に美しさと伝統を持つ漆器技術が継承されています。
今回訪れた石川県金沢市は、安土桃山から江戸時代を生きた三代加賀藩主 前田利常により、江戸や京都から各界の名工を加賀藩細工所へ呼び寄せるという政策が施行された歴史があります。漆器としては当時から名をはせていた五十嵐道甫や清水九兵衛も召還され、その技術が現在の金沢漆器の原型となったといわれています。武家文化と繊細な蒔絵技術が融合された独特の漆工芸は、現在の石川県金沢市にも受け継がれ、数々の名匠を輩出し続けています。
漆芸家
田村 一舟氏
1957年(昭和32年)生まれ。石川県金沢市在住。清瀬一光師に師事し金沢に伝わる伝統蒔絵「加賀蒔絵」を習得後、世界に類を見ない独自の細密技法を生み出しました。漆器のみならず、加賀蒔絵をあしらった高級万年筆や腕時計を発表、その極めて緻密な技術による精緻な美しさが、世界的に高い評価を受けています。
世界に一つの顔を見せる漆工芸を身近な腕時計へ 漆芸家 田村 一舟氏 インタビュー
漆のお仕事をはじめられたのはいつ頃からですか?
私の場合、加賀山中に生まれ、祖父が蒔絵職人、父も漆職人だったので、子供の頃から漆を扱う職場で育ちました。器をおもちゃ代わりにして怒られたり、道具を作ることを教えてもらったり、常に漆は身近な存在だったのです。
20歳の頃、本格的に漆を職業にしようと思い、各地の展示会などを見て歩いたのです。そこで金沢の職人たちの技術を見て、レベルが物凄く高く衝撃を受けました。金沢は安土桃山時代からお殿様がスポンサーで技を磨いてきた歴史があります。長年培ってきた技術を見たら、これがやりたいという気持ちになり、師匠の門をたたいたのです。
漆器を作成するときに心掛けていることはありますか?
固定概念にとらわれないということですね。何かの依頼を受けたときでも、到底できないという考えからスタートするのではなく、どうやったらできるのだろう?というところから始めるよう心掛けています。難しい注文があっても、試行錯誤してなんとかできるようにする。研究を積み重ねるうちに、ある日突然それが完成させられた時にはとてもうれしい気持ちになります。
ですから、依頼を受ける際に「ちょっとこれは難しいぞ」という内容だと少しワクワクしてしまいます(笑)。今回お引き受けした漆ダイヤルも、イメージ通りの漆黒を表現するために、下塗りを焼き付ける工程があるのですが、この温度と時間が決まるまで相当な試行錯誤がありました。かなりの試作を重ねて、ようなくベストな方法を見つけられたのですが、その時もとてもうれしかったですね。
強い探求心を感じます。チャレンジ精神が旺盛なのですね。
今回、制作を続けているプレザージュの漆ダイヤルですが、漆独特の風合いを出すために試作を繰り返しました。適切な厚みを持たせるための研ぎ方や漆を重ねていくための工程などは、完成に至るまで数か月を要しました。
現在は、下塗り~上塗り工程はほかの職人さんに依頼しています。しかし、最終工程の「擦り漆」や「ろいろ仕上げ」は、傷やピンホールの有無、厚みや色合いなど、総合的なチェックも兼ねますので、私自身が担当しています。職人と協力しながらといいつつ、全工程に約3週間と非常に時間がかかります。
田村さんの「漆」に対するこだわりはありますか?
漆器は古くから贅沢品である反面、必需品に使われてきました。一番有名なのは印籠でしょうか?テレビ番組で自らの身分を証明するために家紋を入れた印籠を見せる場面は、誰でも記憶にあるかと思います。そのような面からもわかるように、多くの人にとってステータスシンボルでもあるのが漆器なのです。
腕時計も世界中で愛され、歴史の中で息づいてきた製品です。こちらも腕を飾る装飾品という面もあり、時間を計るために必須のアイテムでもあったわけです。日本文化である漆と、腕時計は相性が良い組み合わせだと思います。長い間使い続けていても飽きが来ず、愛着がわいてくる製品に仕上がっていると考えます。メイドインジャパンがまさに体現されている時計と一緒に豊かな人生を歩んでいただきたいですね。