ウオッチデザイナー 小杉 修弘
グランドセイコー
ヘリテージコレクションの
デザインとは?
腕時計の世界最高峰を目指して誕生したグランドセイコー。1960年の鮮烈なデビュー以来、最高を追求すべく、“革命”と呼ぶにふさわしい挑戦を続けてきた。グランドセイコーの主軸である「ヘリテージコレクション」のなかで、アイコニックピースといえば、5振動の手巻時計として当時の最高精度を誇りながら、「燦然と輝くウオッチ」を目指し、日本の美を紡ぎ出した造形を実現したといえる「44GS」(1967年発売)。
グランドセイコーは、高精度を追い求めながら、格調高雅な美しさを兼ね備えた腕時計の数々を半世紀以上に渡って、世に送り出してきた。
1998年に「国際基準を凌ぐ精度と実用性」を極めたキャリバー9Sを搭載したモデルや、2009年には最先端のMEMS(Micro Electro Mechanical Systems)技術を採用し、そのキャリバー9Sの精度を司る基幹のパーツを一新することで実現した10振動ムーブメントを搭載した「メカニカルハイビート36000」など、ヘリテージコレクションのデザインは、常にムーブメントの進化とともにある。そして、今この時も、ヘリテージコレクションの次なる革命は、新たな未来を紡ぐべく、粛々と行われている。
ウオッチデザイナー
小杉 修弘
1952年、横浜市生まれ。林精器製造デザイン室、KGデザイン事務所設立などを経て、セイコー電子工業(現セイコーインスツル)に入社。約40年間にわたりウオッチのデザイン開発に携わり、近年はグランドセイコーのヘリテージコレクションを中心に多才なデザイン開発を行う。これまでに3度のグッドデザイン賞を受賞。12年、デザインを手がけた「グランドセイコー SBGH005」が、海外時計専門誌・ウオッチ ワールド「ヨーロピアン ウオッチ オブ ザ イヤー」を受賞。14年、世界の時計業界で最も権威のあるジュネーブ時計グランプリ(Grand Prix d’Horlogerie de Genève)において、日本の機械式腕時計としては初めて部門賞を受賞した「グランドセイコー SBGJ005」のデザインを担当。同年、デザイナーとしては初となる厚生労働省「卓越した技能者(現代の名工)表彰」に選定される。優れた功績と長年にわたる業務精励が認められ、16年、黄綬褒章を受章。
グランドセイコー ヘリテージコレクション
デザインの系譜
ウオッチデザイナー 小杉 修弘 インタビュー
ウオッチデザイナーとして、40余年にわたるキャリアを誇る小杉修弘が、グランドセイコーのデザインに携わるようになったのは、1995年ごろのこと。スイス・クロノメーター規格を凌ぐ「新GS規格」のもと、先進技術と職人による芸術的な加工技術を融合し、1998年に誕生した機械式腕時計「9S5シリーズ」を皮切りに、今日に渡って、グランドセイコーの歴史に名を刻むヘリテージコレクションのデザインを手掛けてきた。その系譜を辿るべく、2018年、キャリバー9S 20周年を記念して発売された新デザインに至るまで、余すことなく小杉に話を聞いた。
「世界最高級の腕時計」の原点、初代グランドセイコー誕生
1960年、初代グランドセイコーが誕生したきっかけは何だったのですか?
スイス製が、高級機械式腕時計の代名詞とされていた当時、セイコーとしては、それまで培ってきた時計技術の粋を結集して「世界の名だたる高級時計ブランドを超える国産最高級の腕時計をつくる」挑戦をしてみたかった。おそらく、それが、一番のきっかけだったのではないかと思います。1950年代から60年代は、ムーブメントの進化をはじめ、腕時計の精度をいかに上げるかということに、チャレンジしていた時代。それらが、グランドセイコーを登場させていくストーリーのスタートになったのだと思います。
その歴史の始まりを飾ったのが、国産では初めて、スイス・クロノメーター検査基準(B.O)優秀級規格に準拠したモデルの初代グランドセイコー。スイスが作った高精度時計の基準に合致するものを打ち出したわけです。
1964年から、時計の精度を競う世界最高峰の舞台、スイスの「ニューシャテル天文台コンクール」にセイコーが参加したことも、そのチャレンジのひとつだったと思います。
「セイコースタイル」すべては、燦然と輝く時計のために
1967年、グランドセイコー独自のデザイン文法「セイコースタイル」を確立したモデル「44GS」が発売されました。セイコースタイル誕生の経緯について、教えてください。
当時、服部時計店のデザイナーだった田中太郎さんという方が、外装工場の職人たちとともに、「燦然と輝く時計」を作るための研究をスタートさせたんですね。どういう造形であれば、燦然と輝くのか、いかに美しくできるのかと試行錯誤を重ねながら、作り上げたのが「44GS」であり、セイコースタイルを確立したモデルとして発表されました。
セイコースタイルの3つのデザイン方針とは、
1.「平面を主体として、平面と二次曲面からなるデザイン。三次曲面は、原則として採り入れない」柔らかい三次曲面は採り入れず、円錐形の一部から平面を作る形で面を構成しているので、非常にシャープな平面から成る造形です。光と影が生み出すコントラストによって、より美しく輝く時計を目指しています。
2.「ケース・ダイヤル・針のすべてにわたって、極力平面部の面積を多くする」視認性を上げるためのコントラストをよりアピールするために、ケースやダイヤルをはじめ、針にも、直線が際立つ多面カットを施すなど、平面部を多く使っています。
3.「各面は原則として鏡面とし、その鏡面からは、極力歪みをなくす」鏡面仕上げによって、光と影のコントラストをより高めることで、燦然と輝く、視認性の高い時計を目指しています。
光と影が織り成す無数の表情
随所に散りばめられた、至高のこだわり
3つのデザイン方針をもとに、「44GS」で実現させた9つのデザイン要素について教えてください。
まず、12時インデックスは、その他のインデックスの2倍の幅とし、12時-6時の縦のラインを強調することで、時刻を読み取りやすくしています。視認性を上げるとともに、より美しくきらめかせるために、インデックスと時分針には、多面カットを施し、それらを際立たせるために、フラットダイヤルを採用しています。
ガラス縁上面とケース平面は、ザラツ研磨によって歪みのない平滑な鏡面仕上げを施し、シャープな印象を作り出しています。また、ケース側面やベゼル側面に逆斜面を入れることによって、美しい影をつくり、表現のある輝きを演出するだけでなく、腕につけた時に、より薄さを感じられる形状にもなっています。
また、りゅうずを半ばケースに埋まるポジションに配することで、手首の太さに関わらず、心地良い装着感を得ることができます。
この直線と平面を主体に構成されていながら、光と影が織り成す無数の表情を生み出す「44GS」は、日本の美を紡ぎ出したデザインともいえます。
光に心を配り、影を光と同じように愛し、光と影の調和によってどのような表情が現われるかを大切する、そのような抒情感を持ち合わせた日本人だからこそ「セイコースタイル」を作ることができました。
「新GS規格」のもと誕生したグランドセイコー「9S5シリーズ」
今なお愛され続ける、ベーシックデザインのスタンダード
1998年に「新GS規格」のもと誕生したグランドセイコー「9S5シリーズ」は、メカニカルモデルとしては、初めてメタルブレスレットを採用したモデルですね。
1995年ごろから、プロジェクトを立ち上げて、今後、グランドセイコーをどのように作っていくかということを話し合っていたんですね。お客様の立場で考えると、レザーストラップが比較的傷みやすく、傷んだら買い換えるという消耗品の側面を持つ一方、メタルブレスレットは、基本的には長く使えるものですし、需要も非常に高い。とはいえ、冬場には付け替えるなどして、レザーストラップを愛用している方も、多くいらっしゃいます。
そこで、決めたことのひとつが、“グランドセイコーは、基本的にはメタルブレスレットで販売するが、レザーストラップもつけられるように、互換性のある構造にする”ということでした。これは、現在に至るまで受け継がれています。
「9S5シリーズ」のデザインについて教えてください。
ベースにあるのは、「最高の普通」を作るというコンセプトです。“ベストベーシック”というテーマのもと、長く愛される時計を目指して、デザインしました。ひと目で、大きなインパクトを与えるような奇抜なデザインではなく、あくまでもベーシックにこだわり抜き、職人の手のかかった美しい仕上げの造形を作り上げました。
このデザインは、1998年に発表して以来、今も継続して販売しています。光栄なことに、グランドセイコーのベーシックデザインのスタンダードとして認めていただき、さまざまなムーブメントを搭載し展開されてきました。
静かに、着々と進化を続けるキャリバー9S
“つけ心地”も、より人に優しく、繊細に
9Sメカニカルムーブメントの進化とともに、ヘリテージコレクションのデザインも変遷してきたのですか?
ヘリテージコレクションに限らず、グランドセイコーのすべてのコレクションは「正確で」「美しく」「見やすい」ことを腕時計の本質ととらえ追求しています。例えば、2009年に発表したキャリバー9S85を搭載した「メカニカルハイビート36000」では、ムーブメントは、精度の要である「ひげぜんまい」の素材を見直すことで耐衝撃性や耐磁性など基本性能を向上させ、「MEMS技術」という非常に高精度なパーツを作れる製法を採用したことで、脱進機(がんぎ車、アンクル)を新しく設計し耐久性を向上させました。さらには「動力ぜんまい」も新素材にすることで、10振動を実現しながら高速振動に必要なトルクと実用的な持続時間をかなえるなど、外からは見えないところで、かなり進化しました。対して、デザイン面では、ダイヤルにも、少し緊張感を持たせようと、12時、6時、9時のインデックスは、若干太めに、あとの8箇所のインデックスは少し細めにすることで、ダイヤルのクロスラインがより明快になり、見やすくなりました。つまり、読み間違いをなくすという考え方を付加したのです。また、これは、72時間パワーリザーブを実現したキャリバー9S6系搭載モデルから採用していますが、キャリバー9S55搭載モデルとくらべてカレンダー窓のサイズを大きくし、日付も見やすくしています。
ウオッチのつけ心地も、時代とともに変わってきましたか?
そうですね。デザインする時、私がとりわけ意識するのは、ケースの裏側です。肌に触れる部分なので、機械加工的な造形の中にも、なるべく柔らかい印象を持たせようと、かん足の裏側や裏ぶたの縁にカーブをつけているんですね。つけた時の腕なじみを良くし、人により優しいデザインにしています。
多機能化によって、外装も堅牢性を考慮することで厚さを増しています。そういった進化のある中で、人と時計が、どう共存していくかと考えた時、優しさみたいなものは、きっと、人にはもちろんのこと、時計にとっても、大切にするべき要素だと思いました。
伝統と革新のハーモニーが美しい、“44GS現代デザイン”
2014年、10振動ムーブメント「キャリバー9S85」の性能はそのままに、GMT機能を付加したキャリバー9S86搭載モデルが発売されました。
1967年発売の「44GS」によって確立された独自のデザイン文法「セイコースタイル」が定義する「燦然と輝く時計」を現代解釈したモデルです。44GSと同じ歪みのない鏡面仕上げの面を多用しながら、緩やかな曲線を構成することを可能にした職人のザラツ研磨技術の向上によって、稜線がカーブを描いています。
本来、セイコースタイルは、“平面を主体として、平面と二次曲面からなるデザインのため、ケースサイドの造形が直線的になっていましたが、このモデルは、ケースサイドの稜線にカーブをもたせ腕なじみの良いラインを構成しています。伝統を守りつつも、ゆるやかにカーブしたサイドのデザインという現代的な解釈を加える必要がありました。
なぜなら、時代とともに、ムーブメントの厚さが増したことによって、おのずとケースも厚くなったため、そのままでは、心地良い装着感を叶えることが難しかったからです。新たな解釈を具現化することで、より腕になじむ造形を実現しました。
先進加工技術と職人の融合で、より高精度な時計づくりを
目指していきたい
デザインを実現するために、職人の技術力は不可欠ですか?
研磨技術の「ザラツ研磨」をひとつとっても、熟練の腕を持つ職人の存在があってこそ、実現できるものです。どのモデルも、ああでもない、こうでもないと試行錯誤しながら、職人たちとの話し合いの中で、作られてきました。
時計産業のみならず、どの産業でも同じだと思いますが、職人の仕事をいかに機械化するかということで、効率を上げていくのが常です。しかし、先進加工技術が進化すればするほど、職人たちの仕事が、どんどん奪われていくという現実があることも否めません。40年以上前、私が入社した頃に比べると、工場にいる職人さんの数は明らかに減っています。
ただ、やっぱり職人って、チャレンジするのが好きなんですね。アイデアスケッチを2、3枚持っていき、「どれが、1番大変かな?」と私が聞くと、「これは、ラクだと思うよ。でも、こっちは、ちょっと大変そうだね」と答える。この時、私は、必ずと言ってよいほど、後者を選びます。職人の手がかかるハンドフィニッシュを、製造工程のラストにきちっと入れたいと思っているので、なるべくハードルを上げるんです。「しょうがないぁ。じゃあ、ちょっとやってみるか」と言ってくださる職人気質の方が今も残っていることが、すごく嬉しいですね。
職人たちが、思わず動いてしまうのは、長年、ものづくりに一緒に取り組んできた小杉だからこそではないでしょうか?
ついに、グランドセイコーの新境地へ
風光明媚な新デザイン「キャリバー9S 20周年記念モデル」
バーゼルワールド2018で、「キャリバー9S 20周年記念モデル」が発表されました。これまでのヘリテージコレクションのデザインとの違いについて教えてください。
これまで、ヘリテージコレクションは、「44GS」で提唱した「燦然と輝くウオッチ」を目指したものづくりを行ってきました。平面や直線を主体とした組み合わせで、立体感や光の変化などが見える点では、日本の伝統的な様式で言うところの屏風や障子を想起させます。
その一方、東洋独自の絵画である水墨画を見ると、一本の線に奥ゆかしさを感じるところがありますよね。水の流れを表現するラインなど、フリーな造形が実に美しい。今回は、そういったものを表現してみようと、柔らかい曲線を細部に取り入れるなどして、新たな試みに挑戦してみました。
「キャリバー9Sの精度を限界まで高めたプラチナ950モデル(V.F.A.)」、「通常よりもさらに精度を追い込んだ18Kイエローゴールドモデル(スペシャル規格)」、「専用10振動ムーブメント搭載のステンレススチールモデル」の3モデルがありますが、先ほどからお話している先進加工技術と職人の技術の融合を、いずれにおいても、今できる最大限、表現したモデルだと思っています。かん足に、これまでのモデルにはなかった面をひとつ作っているのですが、とりわけこの部分には、“融合”が詰まっています。
具体的には、かんの上面に、筋目仕上げの鋭角な三角形が描かれているのが見えますか? 2つの鏡面をかん先ギリギリまで交わらないように仕上げているので、磨きが少しばらつくだけで、かん足それぞれにあるこの三角形の長さが狂ってしまうんですね。グランドセイコーが世界に誇る研磨技術“ザラツ研磨”をはじめとする繊細かつ高度な技術によってのみ生み出される造形なのですが、これまでは、それができなかった。なぜ、今回、実現できたかというと、研磨に入る前のベースの精度が、先進加工技術によって、格段に上がったからです。その進化が、職人に手作業で磨き上げることを可能にしたのです。4箇所の頂点をそろえるには、極めて高度な技術を要しますし、微妙な力加減は、職人の腕に依るところが大きいですが、その職人技が活かせるのも、先進加工技術があったからこそのことです。
今後、ヘリテージコレクションをデザインするうえで、大事なことは何でしょうか?
第一に、見やすいこと、美しい仕上げであること、快適な装着感を叶えることなど、グランドセイコーの真髄なるものをきちっと守って、真摯にデザインすることが、非常に大切だと思っています。伝統を守りつつ、我々デザイナーが、新しい解釈を少しずつ加えながら、革新していくことが、今後のグランドセイコーにとっては、極めて重要になるのではないかと。日々進化する先進加工技術を理解しつつ、いかにそれを職人の手と融合させていくかということに、力を注いでいきたいです。