海外でのビジネスは
全てが「異文化交流」
2010年入社/文学部英米文学科卒
香港ローカルスタッフと、
海外市場に向けた商品を企画
現在私は「Seiko Hong Kong」という現地法人に出向し、2名のローカルスタッフとともに、ALBAブランドの海外向け商品の企画業務を行っています。出荷先は中近東と東南アジアで、マーケット環境も販売形態もそれぞれに異なり、ターゲットも異なるため、性別や年齢を問わず幅広いバリエーションが求められます。
新商品の企画は年に2回あります。まずはマーケット環境の分析からスタートします。トレンド、販売数量などを明確にしておけば、方向性を見失いかけた時には立ち帰れるようにもなります。
斬新なアイデアで話題を喚起する。トレンドを受けて売れ筋ラインを拡充する。企画する際のテーマは様々です。
昨今ではレディース市場が活況で、私たちも最新のコレクションで女性向けの商品を数多く企画しました。しかし、例えばイスラム圏では女性の肌が露出することは厳禁であるなど、広告コミュニケーションで宗教や政治にも配慮が必要。営業や広報宣伝のスタッフとも注意を払いながらプロモーション施策も考えています。
相手が外国人でも日本人でも、
「どうにかして伝える」
自分の半生を振り返ると、もともと私の価値観には「異文化交流」という軸が根づいていた気がします。というのも、父の仕事の関係で小学校2〜5年生の間は香港で、中学2年生からはパキスタンで生活をしていたからです。高校の3年間はパキスタン国内にある全寮制のインターナショナルスクールに在学するなど、海外生活には免疫がありました。何より、考え方が異なる人々とコミュニケーションを取ることにはほとんど抵抗がありませんでした。
かつて暮らしていた香港への駐在が決まった時には、何か運命的なものも感じました。と同時に、言語や商習慣の違いを乗り越えてビジネスを前進させられることに、心が躍ったのを覚えています。もちろん、実際に業務を任されれば、意思疎通の面で苦労することもありますが、「どうにかしてでも伝える」という熱意は、私の行動の原則になっていると思います。
それはもしかしたら、相手が日本人でも同じかもしれません。自分の中に確固たる自信があれば、自分よりも市場を熟知している営業から懐疑的なコメントが出ても、自分の企画を納得してもらえるように工夫します。周りを納得させられないようなら、それは「没企画」。商品化されるべきではないアイデアだったということです。
30年ぶりの香港で見つけた
「人と人」という基本
今は「目の前の山に全力で挑む」という気持ちでいるため、将来に向けた具体的なキャリアイメージは持っていません。海外駐在&企画業務という新しいビジネスライフが始まってまだ1年ということもあるでしょう。以前は日本国内で大手家電量販店に営業をしていたのですが、今の職場に来て、初めて製造、広告といった他部門のスタッフとも連携する機会が生まれ、新たな学びを得ている最中です。また、これは海外ならではかもしれませんが、営業をする中で、取引先の社員や社長に加えて「酋長」という肩書を持った方との出会いもあります。地域別の国民性や習慣など、「発見」のある毎日だと実感しています。
香港の街並みは、30年前に私が暮らしていた頃と比べると大きく変わりました。こうして日本の外側に来て改めて感じるのは、日本の常識はまったく通用しないということ。例えば電車内では、大声でスマホで会話をする人をよく見かけます。一方で、お年寄りや小さな子どもには必ずと言っていいほど席を譲る。そしていつも思うのは、「みんな違う」ということと「人と人」ということなんです。プライベートであれビジネスであれ、「人」を基本にして生きていきたいと私は思っています。
私は2010年にセイコーウオッチに転職してきたのですが、実はそれまで時計に対して特に強い思い入れはありませんでした。「日本の誇る何か」を世界に発信したい。そう考えるようになったのは、東日本大震災がきっかけです。1913年に国産初の腕時計を開発し、1969年には世界初のクオーツ式腕時計を生み出したSEIKOは、まさに私の夢を叶える舞台。私にとって時計とは「次の歴史的快挙」と出会えるための「誇り」だと言えます。