制約を乗り越えた先の
美学をデザインする
2013年入社/芸術学研究科卒
製品ができあがった時、
街で見かけた時、
レビューで評価された時
各ブランドディレクターのもとで、日々、腕時計のデザインを行っています。当社のデザイナーは同時に複数のブランドを担当するケースが多く、これまで私は主にヨーロッパやアメリカで展開しているセイコーブランドの商品をいくつも担当してきました。新人の頃は一部分のデザインからスタートすることが多いのですが、私の場合は運良くケース本体の関係部品、文字板の仕上げやフォント、バンドの形状や素材選びなど、トータルでデザインするチャンスを早い段階でもらいました。まだ手探りの時期でしたので、先輩デザイナーに指導していただきながら、図面を片手に製造部門の設計者にも相談をしつつ、進めた記憶があります。それがようやく3カ月ほど経って、立体のサンプルになってあがってきた時は、「おぉ!」と思いましたね(笑)。
ただ、デザイナーとしての幸福のピークは、やっぱり自分がデザインした時計を世の中の人々がつけているのを見た時ですよね。しかし、海外展開のモデルの場合は、日本の店頭や街中で商品を目にすることはできません。だから、時折私は海外のWebサイトでレビューをチェックしたりもしています(笑)。高評価なコメントを見ると「良かったなあ」とじんわりきますね。
印象深いのは、入社1年目から担当を任されたプロスペックスのパイロットウオッチが、スイスで開かれる世界最大の時計の見本市「バーゼルワールド」に展示されたこと。世界中の時計メーカーが最新の技術やデザインを持ち寄る華やかな場に、自分がデザインしたアイテムが並ぶ様子を見た時には感無量でした。こうしてカタチに残る仕事に携われているのは幸せなことですよね。
ターゲットイメージを
膨らませるために、
アメリカで現地調査
デザインには間違いなく感性も大事ですが、工業製品である以上、ビジネス視点も問われます。商品企画チームからオリエンテーションを受けた後、デザインチームでは独自にターゲットイメージを膨らませ、その商品の世界観を煮詰めていきます。入社3年目で私はアメリカ向け商品のCoutura・Excelsiorという2つのロングセラーモデルのフルモデルチェンジを任される機会をいただいたのですが、その時はチームでアメリカ現地に赴いてマーケットサーベイを実施することにしました。街の風景、往来する人々、聞こえてくるクラクション、街道沿いのショップ、いろいろな情報を生の状態で吸収することで、そこにしかない空気をデザインに落とし込んでいきました。その姿勢は国内でも同じです。富裕層がターゲットならその人が通いそうな寿司屋で寿司を食べ、音楽好きなターゲットならその人が聴きそうな音楽を聴く。成り切ることも一つのデザイナーの能力だと私は思います。
手描きのラフに始まり、タブレットを使った彩色、ディテールの造形や素材感をデザインに定着させた後は、その具現化を託すことになる海外の時計バンド工場にも出向きます。サンプルがイメージと異なっていれば、工場長にスケッチで説明し、狙い通りの仕上げ加工が実現するまで粘ります。その積み重ねが納得のいく質感につながるのです。
価値観や生き方を
デザインしたくて、
今ここにいる
学生時代に考えていたのは、消耗品や日用品よりも、趣向性の高いアイテムのデザインに携わりたいということでした。その人の価値観や生き方が表現できるようなデザイン。そこでふと気がついたのが時計でした。機能を重んじながらも、スタイルがしっかりあるのが時計です。そしてセイコーなら、高価格帯から普及価格帯まで、宝飾時計からダイバーズウオッチまで、とにかく幅広い製品に関わるチャンスがあります。またセイコーウオッチが企画デザインした製品は、グループ会社で製造され、多くの職人さんもそこにはいる。培ってきた技術力とグループ力はどこにも負けません。
実際にセイコーのデザイナーになり実感するのは、時計の「視認性」という大前提はもちろん、機能時計であれば衝撃や防水による制約が高く、趣向性の高い時計であればトレンドやファッション性も加味するなど、腕時計のデザインは小さな中に多くの要素を凝縮させていく行為だということ。そこに、この仕事の深みがあるはずです。今はまだ経験を積み、引き出しを増やす時期ですが、ゆくゆくは若者世代からも選ばれ、セイコーブランドの価値向上に寄与するような、セイコーの代表作をデザインしてみたいですね。
時計とは自分を表す名刺のようなもの、自分のアイデンティティを構成するものです。私にとって時計は単なる道具ではありません。好きな色や形、素材の時計をまとうことで自分と時計が一体になれる感覚があるんです。自分の一部なので、つけていないと物足りなさを感じますし、汚れていたら手入れをして、大切に使っています。自分のデザインした時計がユーザーにとってもそんな存在であってほしいと願っています。