01
“正確”な
時計作りを目指し
時計業を志し、時計店に勤めながら資金を蓄えた服部金太郎は、1881年、21歳で銀座に時計の小売り・修理を行う「服部時計店」を創業します。「必ず約束を守る」という精神の下、店はめざましく躍進。1895年には銀座の一等地である四丁目角地に進出しています。早くから時計の国産化という目標を抱いていた金太郎は、1892年に現在の墨田区に工場を設立し、掛時計の製造を開始。「精巧な時計の生産に成功する」との思いで「精工舎」と名付けた工場は、部品製造から組立まで、全ての工程を自社で一貫して行える体制を強みとし、程なく日本を牽引する時計工場へと成長。1913年には「腕時計の時代が必ずくる」という金太郎の先見の明により、国産初の腕時計「ローレル」が誕生します。
しかし、1923年9月1日の関東大震災で工場が全焼。時計店や自邸も燃えてしまいます。一旦は落胆したものの、金太郎は不屈の闘志で復興を開始。11月20日には時計店の営業を本格的に再開させます。修理のために顧客から預かって焼失した約1,500個の時計に関しても、顧客には迷惑をかけないという姿勢を貫き、同程度の新品で補償。顧客のさらなる信頼を得ることになりました。
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東洋の時計王と呼ばれた服部金太郎
創業者の服部金太郎(1860−1934年)は、江戸京橋の古物商の長男として誕生しました。13歳の時、奉公先近くの時計店の仕事ぶりを見て、時計業を志します。以後、「常に時代の一歩先を行く」を信条に、セイコーの礎を築きあげました。
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初代時計塔
金太郎は1894年に銀座四丁目角地(現在のSEIKO HOUSE GINZA)の新聞社社屋を買収し、服部時計店の新店舗として増改築。屋上の時計塔は多くの人に親しまれました。
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関東大震災で焼けた時計
1923年の関東大震災による被害は甚大で、工場は全焼。複数の懐中時計が溶けて、このような塊になりました。
02
THE FIRST SEIKO
世界に負けないブランドへ
震災で甚大な被害を受けてから1年後となる1924年、服部時計店は新しい腕時計を発表します。この腕時計、最初は「GLORY」という名称が与えられる予定でしたが、「精巧な時計の生産に成功する」という精工舎設立時の原点に立ち返り、初めてSEIKOの名を冠することになりました。これこそが、今日まで続くSEIKOブランドの始まりの1本です。
震災前は、さまざまな名称で腕時計を販売していましたが、これ以後はSEIKOに統一。時計の製造設備や工程も、これまで以上に近代化され、以降の発展・躍進の礎となりました。2024年にSEIKOブランド100周年を記念して登場した琺瑯(ほうろう)ダイヤルの限定モデルには、大きな転換をもたらし、重要な役割を果たした初代SEIKOモデルの面影が色濃く残ります。
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- 1924年
初のSEIKOブランド
初めてSEIKOの名を冠して発売された記念すべきモデル。じつはこの時計の試作品は関東大震災前日に6本完成。そのうち奇跡的に焼失を逃れた2本をもとに製品化したのです。
- 2024年
初代オマージュモデル
ブランド100周年を記念した限定モデルでは、初代SEIKOモデルをオマージュ。当時のロゴ、アラビア数字の書体、針形状など、細部まで忠実に再現しています。
03
名作から名作へ
継承される技と美
早くから腕時計の時代が到来することを見据えていた服部金太郎の命により、1913年に国産初の腕時計「ローレル」が誕生したのは前述の通りです。当時、海外の時計メーカーでは徐々に腕時計の量産化が始まっていましたが、日本の時計メーカーがトライするのは、技術面でも資金面でもかなり冒険的な試みでした。しかし失敗を恐れることなく果敢に挑んだことで、セイコーの設計・微細加工技術は格段に向上。工作機械の開発も飛躍的に進みました。
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ローレル
懐中時計が主流の大正初期に登場した国産初の腕時計。一般的な懐中時計の1/5程度の大きさのために製造は困難を極め、日産50個程度だったそうです。
初代SEIKOモデル
前年の関東大震災で社屋や工場は全焼。新たなスタートの年に精工舎設立時の原点に立ち返るが如く、初めてSEIKOブランドの腕時計が誕生しました。
もちろんその後も技術革新は続き、新しい腕時計を生むごとに着実に高性能化を果たしていきます。第二次世界大戦による停滞期もありましたが、戦後のセイコーはいち早く生産体制を整え、技術開発を推進。そして1950年代に入ると、高精度化をはじめとするセイコーの挑戦がいよいよ本格化していきます。この頃にはデザイン面もぐっと洗練され、センターに秒針を配置したモダンなスタイルの「スーパー」や「マーベル」といった名作が続々登場。やがて、より高精度で高品質な「ロードマーベル」と「クラウン」が生み出され、これらが後の「グランドセイコー」誕生へとつながっていくのです。
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“デザインの夜明け”
1956年には、主に外装のデザインを担う部署が発足。ここからセイコーの腕時計デザインは、体系化しながら進化していきます。
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-
1950年
スーパー
セイコーの腕時計で初めて6時位置の小秒針ではなく、時分針と同軸に秒針を配した、いわゆる中三針モデル。いまだに根強い人気を持つデザインのひとつです。
-
1956年
マーベル
腕時計の原理原則(くるわない、壊れない、美しい)に立ち返り、初めて独自設計した製品。部品のサイズアップによる機能安定と精度向上で、国内のコンクールで上位を独占。
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-
1958年
ロードマーベル
マーベルの後継機。ロゴを彫り込むなど随所の高級感が格段にアップしています。ムーブメントは当時最新のスムースてん輪を採用し、開発されたばかりの耐震装置も搭載。
-
1959年
クラウン
高精度化を目指し、マーベルよりさらに大型のムーブメントを搭載。等時性を高めるため大型てん輪を搭載し、大型香箱でトルクも高めていました。見た目もより堂々たる風格に。
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“デザインの夜明け”
1956年には、主に外装のデザインを担う部署が発足。ここからセイコーの腕時計デザインは、体系化しながら進化していきます。
ロードマーベルとクラウン、
2つの傑作が組み合わさり、
ついにグランドセイコー
誕生へ!!
セイコーの
最高傑作を目指して3つのブランド
の誕生秘話
04
世界に通用する
「グランドセイコー」
精度と美観を兼ね備えた腕時計で1950年代に躍進を続けたセイコーは、次第に「世界に通用する高品質で高精度な腕時計を作り出す」という高い志を抱くようになります。そして1960年に、当時の持てる技術と技能を全て注ぎ込んで「グランドセイコー」をリリースします。ちなみに視認性に優れた大型インデックスと針はロードマーベルから、優雅で繊細な雰囲気はクラウンから継承。搭載するムーブメント、Cal.3180は、クラウンが搭載した当時国内最高精度のCal.560の進化版で、耐震装置ダイヤショックや秒針規正装置、微動緩急針調整装置など、新技術も盛り込まれていました。なお初代グランドセイコーは、スイス公認歩度検定局のクロノメーター優秀級に準拠した高精度モデル。これがセイコーの大きな自信となり、以後、数々の国際的な精度コンクールにて優秀な成績を残すきっかけとなりました。
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スイスのクロノメーター規格に準拠する、社内の厳密な精度検査に合格したもののみを商品化。歩度証明書つきで販売されました。
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初代グランドセイコー
記念すべき初代。価格は25,000円以上(当時の大卒会社員の初任給平均額の約2倍)と高額でした。写真の金張りケースのほか、僅かな本数だけセイコー初のプラチナ製も製造。
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スイスのクロノメーター規格に準拠する、社内の厳密な精度検査に合格したもののみを商品化。歩度証明書つきで販売されました。
「獅子」ではなく「太陽」「鐘」だった可能性も?
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グランドセイコーの裏ぶたの紋章には、時間を象徴する鐘マークや太陽系を司る太陽(アポロン)なども候補に挙がっていたそう。最終的には、時計界の王者たらんとする決意を込めて百獣の王である獅子に決まりました。
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独立ブランド化
さらなる高みを目指して、ダイヤルの12時位置にGrand Seikoロゴを配し独立ブランド化を宣言。現在も日本の美意識をもって、腕時計の本質を追求しています。写真は2021年発表の「SLGH005」。
05
手が届く高精度
「キングセイコー」
セイコーを代表するもう1つの高級腕時計として1961年に誕生したのが「キングセイコー」です。こちらは高級腕時計としての性能と先進的なデザイン、そして適正な価格の共存を実現した結果、多くの人から愛されることに。なお当時セイコーには諏訪精工舎と第二精工舎の二大製造拠点があり、グランドセイコーは前者、キングセイコーは後者で製造。両者が技術を競い合う間柄だったこともキングセイコーの高品質の要因かもしれません。1970年代に製造中止となりましたが、2022年に復活。デザイン哲学だけでなく“手の届く高級腕時計”のアイデンティティーも往時のままです。
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初代キングセイコー
多くの人の手が届く価格でありながら、高精度かつ高品質を実現していた初代キングセイコー。1965年に発売された“KSK”と呼ばれる2代目モデルも時計ファンに人気です。
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キングセイコーの誕生を伝える当時の記事。堅牢な機械を搭載し、グランドセイコーに次ぐ精度であることが書かれています。
06
キングセイコーと
「クイーンセイコー」
「クイーンセイコー」は、1962年に誕生した女性用腕時計のコレクション。名前からわかる通り、キングセイコーと対をなす高級モデルとして開発されました。これ以前の女性用腕時計はどちらかといえば装飾性に重きを置いたものが多かったのですが、クイーンセイコーは径20㎜にも満たない小ぶりのケースながら、視認性の高いダイヤルや、ぜんまいを回しやすい大きなりゅうずなど、実用性をしっかり考慮。それでいてドレッシーな華やぎも感じさせ、女性の社会進出が徐々に始まっていた時代背景もあって、好評を博しました。当時の多くのカップルにとって、キングセイコーとクイーンセイコーをペアで揃えることは、ステータスだったのかもしれませんね。
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初代クイーンセイコー
小ぶりながらも視認性が高く、端整な顔立ちの初代モデル。それでいて細く鋭い形状の針と、長く伸びた台形のインデックスがドレッシーな印象を与えます。
腕時計だけじゃない!
黎明期を伝えるセイコー
腕時計のほうがなじみの深いセイコーですが、最初は掛時計や置き時計を作っていました。国産初の腕時計を発表した1913年以降も、1920年代後半までは懐中時計を中心に製造。そうした黎明期を支えるモデルとしては、国産初の鉄道時計や、国産初の量産化に成功したマリンクロノメーター(航海用高精度時計)が挙げられるでしょう。ともに高精度が求められる分野で、ここで培った技術と精神が腕時計開発の土壌となり、やがて国際的精度コンクールでの数々の受賞、さらに世界初のクオーツ腕時計開発へつながっていくのです。
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07
1929年国産初の鉄道時計
日本の鉄道会社は長らく海外の懐中時計を使用していましたが、1929年にセイコーの懐中時計「セイコーシャ」を鉄道省が鉄道時計に指定。これこそ国産初の鉄道時計です。
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08
1939年視覚障がい者用
懐中時計セイコーの作る懐中時計は確かな品質からさまざまな分野で活躍。これは視覚障がい者用懐中時計で、ガラスなど風防を持たず、直接針と文字盤に触れて時刻確認する指触式です。
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09
1942年マリンクロノメーター
正確な海洋航行に不可欠な、高い精度を持つマリンクロノメーター。1942年頃、当時のセイコーの技術を集めて開発した、船の位置(経度)を知るための正確な時計です。
もちろん腕時計をメインに作り始めてからも、全ての方のライフスタイルを豊かにするため、多彩なジャンルの時計を作り出してきました。ファッショナブルなリングウオッチやペンダントウオッチ、あるいはダイヤルに触れて時刻を確認できる時計、医療現場を支えてきたナースウオッチなども好例です。これからも腕時計以外の分野においても、セイコーは腕を磨き続けます!
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10
1965年リングウオッチ
欧米でデザイナーが台頭し、ファッションが文化であることに皆が気付き始めた1960年代。セイコーはいち早く指輪型ウオッチをリリース。感度の高い女性から支持を得ました。
11
1987年ペンダントウオッチ
多様なファッションに合わせて新感覚の時計を次々開発したセイコー。こちらはペンダント型の時計。小型化・薄型化が進んだクオーツの恩恵でデザインの自由度が高まりました。
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12
2014年ナースウオッチ
プロユースの時計も数多く開発してきたセイコー。病院など医療現場を支えてきたのが、このナースウオッチです。時刻表示の他、簡易脈拍計も備えた文字盤が大きな特徴です。