Seeking the Origins of Presage Craftsmanship in Ibaraki Seeking the Origins of Presage Craftsmanship in Ibaraki

セイコー プレザージュの職人技  
その起源を求めて
愛知編

時によって磨かれた匠の技と日本の美意識を
世界に発信し続けるセイコー プレザージュ。
唯一無二の価値と美の起源を求めて、
見惚れるほど深く美しい七宝ダイヤルの故郷、
尾張の国・愛知を訪れる旅へご案内します。

セイコー プレザージュ
クラフツマンシップシリーズ
七宝ダイヤルモデル

時を彩り、時を超えて煌く価値を七宝に込めて

1913年にセイコーが国産初の腕時計を完成させてから110年。
誰にとっても大切な「時」に新しい彩りを添えてきた腕時計の歴史が、「セイコー プレザージュ七宝ダイヤルモデル」の深いブルーに結実しました。
その神聖なまでの美しさから、七つの宝になぞらえて名付けられたとされる「七宝」。190年を超えて尾張七宝を受け継ぐ老舗工房とセイコーが手を携えて創り上げた価値ある機能美を、今あなたの腕に。

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歴史と未来、伝統と進化が出会う魅惑の土地へ

美術品や宝飾に用いられるエナメル装飾の一種である七宝。その歴史を紐解けば、遠く紀元前の古代文明にまで遡ります。江戸時代末期、尾張藩士の元に生まれた梶常吉が古書を読む中で七宝の美に興味を持ち、オランダ船に乗せられてきた七宝皿を参考に研究を重ねた結果、その製法を発見。手本となる師がいない中、試行錯誤の末に現在の尾張七宝の基礎を作りました。常吉が作る七宝の噂は尾張徳川家にも伝わり、その作品が献上されたといわれています。その後七宝は独自の進化を遂げ、1867年のパリ万博で初めて日本の七宝焼が紹介されると、その“超絶技巧”による緻密な美しさは海外の人々からも感嘆と賞賛を浴びました。今では、七宝焼は日本を代表する伝統工芸のひとつとなっています。尾張七宝の故郷である愛知県は、江戸と京を結ぶ地として古くから歴史の舞台となってきた土地。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の“三英傑”をはじめ、日本の歴史を大きく動かした武将たちの故郷でもあります。さらに、都会から手軽にアクセスできる大自然、地元民だけでなく世界中のファンに愛される「なごやめし」など、その多彩な魅力は訪れる人を飽きさせることがありません。さあ、楽しみ満載の愛知の旅へ出かけましょう。

  • “尾張名古屋は城でもつ”を体現した
    徳川家の至宝

    関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が、幕府直営の“公儀普請”としてかつてない大規模な人員と資材を投じ、1610年に築城を開始した名古屋城。徳川の威信をかけ、東海地方を統べる重要拠点として築かれたこの城は、ごく限られた格式を持つ城だけに許された金鯱を頂く巨大な天守、絢爛豪華な本丸御殿、壮大な二之丸庭園、高くそびえる石垣と深い堀などを備えた威風堂々たる存在感をたたえています。家康の9男・義直が初代藩主として名古屋城に入り、盤石の体制でここから大坂冬の陣・夏の陣へ出陣。その後、尾張徳川家の居城として、江戸260年にわたって栄えることになります。城下には現在の名古屋のまちづくりの原点となる碁盤割(ごばんわり)の町が作られ、軍事的な役割だけでなく経済的な発展をも見据えた築城であったと考えられています。「尾張名古屋は城でもつ」という言葉があるように、当時から現在に至るまで、名古屋の繁栄を願う人々の心の拠り所にもなっている名古屋城は、愛知の必見スポットにおいても筆頭格といえるでしょう。

  • 本丸御殿は1945年の空襲によって消失してしまいましたが、襖絵(ふすまえ)や天井板絵など1047面もの障壁画は、戦時中に取り外され、大切に保管されていました。さらに昭和初期の調査・計測や戦前に撮影された写真など、本丸御殿の詳細を伝える多くの貴重な史資料が残されていたため、他の歴史的文化遺産では類を見ないほど忠実な復元が可能となりました。2009年に復元工事が開始され、2018年から絢爛かつ優美な姿が公開されています。なお、襖金具などに使用されている七宝の修復は、プレザージュ七宝ダイヤルを製作している安藤七宝店が手がけました。

  • 城郭の隅を守る防御施設である隅櫓(すみやぐら)は、
    創建時のままの姿で現存し、国の重要文化財に指定されています。

  • 尾張藩の歴代藩主が公私にわたって過ごした二之丸御殿の北側に設けられた二之丸庭園。藩主が居住した御殿の庭園としては日本一の規模を誇ります。

  • 徳川将軍家に連なる御三家の筆頭格である尾張徳川家。歴代の藩主たちは、学問に励み芸能を盛り上げ、心の豊かさも大切にしていました。とくに尾張藩7代藩主徳川宗春は8代将軍吉宗が掲げた質素倹約政策に異議を唱え、積極的な開放政策で芸能や遊里を盛り上げ、尾張に活気と繁栄をもたらしたことで人気のある人物です。
    名古屋城本丸から約3km の地にある徳川園は、尾張藩2代藩主徳川光友が、1695 年に自らの隠居所として造った大曽根御屋敷が起源。園内には、国の登録有形文化財である「黒門」をはじめ、鯉が滝を登り竜になったという登竜門伝説に基づいた「龍門の瀧」などがあり、尾張徳川家ならではの大名庭園の風情をじっくりと味わえます。
    徳川園に隣接する徳川美術館には、家康の貴重な遺品をはじめ、御三家筆頭62万石の大大名であった尾張徳川家に伝えられた武具や茶道具といった大名道具など、尾張徳川家ゆかりの品々が展示されています。中でも家康が着ていた「薄水色麻地蟹文浴衣」は、NHK大河ドラマで主人公がこれをモチーフにした衣装を着用したこともあり注目の作品となっています。また、世界的にも有名な国宝「源氏物語絵巻」や重要文化財も多種多様に収蔵し、訪れる人をしばし徳川家が栄華を誇った時代へと誘います。

  • 戦国時代の1537年に建てられ、国宝五城の中でも日本最古の天守を今に残す犬山城。1617年、尾張藩の付家老だった成瀬正成が2代将軍秀忠から拝領したこの城の天守からは、木曽川の流れはもちろん、天候がよい日には名古屋市街や御嶽山までの絶景が見渡せます。
    江戸時代の骨組みを残し、五平餅や目にも美味しいカラフルな団子など地元のグルメを楽しめる城下町をそぞろ歩けば、まるでタイムスリップしたような感覚に。木曽川沿いの道から眺める美しい犬山城をバックに、記念写真を一枚どうぞ。

  • 戦国時代の1537年に建てられ、国宝五城の中でも日本最古の天守を今に残す犬山城。1617年、尾張藩の付家老だった成瀬正成が2代将軍秀忠から拝領したこの城の天守からは、木曽川の流れはもちろん、天候がよい日には名古屋市街や御嶽山までの絶景が見渡せます。
    江戸時代の骨組みを残し、五平餅や目にも美味しいカラフルな団子など地元のグルメを楽しめる城下町をそぞろ歩けば、まるでタイムスリップしたような感覚に。木曽川沿いの道から眺める美しい犬山城をバックに、記念写真を一枚どうぞ。

  • 江戸時代、幕府が江戸・日本橋を起点として整備した五街道の中でも、江戸と上方を結ぶ重要な幹線道路だった東海道。参勤交代の大名行列が通り、多くの庶民や旅人たちも行き交う通りには宿場町が栄えました。さまざまな地方の文化が運び込まれ、それらが交わり合い、昇華されて、新しい文化が根付きました。ジャパンブルーとも称される美しい藍染と繊細な手仕事から生み出される有松絞りもそのひとつ。布を括る、縫う、畳む、板で挟む、染める…気の遠くなるような工程で独特の文様が染め上げられていきます。有松は1784年の大火で大半が消失しますが、その後幕末から明治にかけて造られた防火対策を施した建物は今もなお残っています。風にはためく暖簾を眺め、浮世絵師・歌川広重が描いた「東海道五十三次」の世界を散策するのは、なんとも贅沢なひとときです。

  • 古い家屋の屋根に張り出した「うだつ」と呼ばれる小屋根付きの袖壁。当初は防火の目的で造られたものですが、多額の費用がかかったことから次第に装飾的になり、富や成功の象徴となったそう。「うだつの上がらない〜」という言葉はここから生まれました。

  • 江戸時代、幕府が江戸・日本橋を起点として整備した五街道の中でも、江戸と上方を結ぶ重要な幹線道路だった東海道。参勤交代の大名行列が通り、多くの庶民や旅人たちも行き交う通りには宿場町が栄えました。さまざまな地方の文化が運び込まれ、それらが交わり合い、昇華されて、新しい文化が根付きました。ジャパンブルーとも称される美しい藍染と繊細な手仕事から生み出される有松絞りもそのひとつ。布を括る、縫う、畳む、板で挟む、染める…気の遠くなるような工程で独特の文様が染め上げられていきます。有松は1784年の大火で大半が消失しますが、その後幕末から明治にかけて造られた防火対策を施した建物は今もなお残っています。風にはためく暖簾を眺め、浮世絵師・歌川広重が描いた「東海道五十三次」の世界を散策するのは、なんとも贅沢なひとときです。

  • 古い家屋の屋根に張り出した「うだつ」と呼ばれる小屋根付きの袖壁。当初は防火の目的で造られたものですが、多額の費用がかかったことから次第に装飾的になり、富や成功の象徴となったそう。「うだつの上がらない〜」という言葉はここから生まれました。

  • 日本の近代化とロマン

    名古屋城から徳川園へと至る「文化のみち」を歩けば、江戸から明治、大正、昭和初期へと名古屋が進んできた近代化の姿を今に伝える貴重な歴史遺産に出会うことができます。江戸時代には武士たちの屋敷が連なり、明治以降には近代産業の担い手となる起業家やジャーナリストたちが行き交い交流の舞台となったこのエリアでぜひ立ち寄りたいのが、ハイカラなオレンジ屋根が目を引く「二葉館」。日本初の女優として謳われた川上貞奴と、電力王・福沢桃介が暮らした邸宅を移築・復元したこの館には、貞奴や郷土ゆかりの資料も展示されています。大正浪漫の香り高い館でしばしの時間旅行をお楽しみください。

  • 二葉館のメインホールは、ピカソやロダンをも魅了したといわれる貞奴が欧米仕込みのセンスで取り入れたステンドグラスによって、万華鏡のような色彩に包まれています。電灯があまりなかった時代に、二葉館は電気の明るさにあふれ、貞奴が電動の呼び鈴で女中に指示を出していたというエピソードも。

  • 270°に広がる海の恵み、春夏秋冬の楽しみあふれる大自然へ

    愛知といえば大都市・名古屋。そんなイメージをお持ちの方も多いでしょう。実は、都会と程近い距離に、春夏秋冬ごとの楽しみを堪能できる大自然が広がっています。名古屋や中部国際空港(セントレア)から気軽にアクセスできる知多半島の最南端・南知多は、視界の270°が海という絶景が望めるエリア。伊勢湾で最長の1.6kmのビーチを有する内海海岸では、町をあげて美化が行われ、世界で100ヶ所の「グリーンディスティネーション」のひとつに認定されるまでの美しさになりました。海水浴だけでなく潮干狩りから鯛やヒラメも狙える船釣り、地引網体験まで海の魅力を存分に楽しめます。絶品の地魚は多くの民宿や旅館でも供され、ここでしか味わえない味覚を求めて遠方から訪れる人も。海辺を走る爽快なサイクリング、いちご狩りやみかん狩り、タコ料理で有名な日間賀島へのショートトリップなど、一年を通して味わえる体験は、忘れられない旅の1ページになるでしょう。

  • 環境に配慮し、過去から未来へ

    “憩い・賑わい・ふれあいが集う都心のオアシス”のコンセプトを体現した「オアシス21」は、恐竜など太古の世界をモチーフにした地下階のデザインから、城下町の碁盤の目を表現した地上公園、そして未来を象徴した最上階の「水の宇宙船」まで、名古屋の過去から未来への歴史と希望を感じられる場所。水の宇宙船は、季節や歳時に合わせて桜吹雪、海や花火、紅葉や 名月、流星や雪などをイメージしてライトアップされ、その鮮やかで美しい夜景は、外国人旅行者が選ぶフォトジェニックスポットとして日本2位に選ばれたこともあり、旅の思い出にぜひ残したいシーンのひとつです。また、地下水と雨水を濾過・殺菌してポンプで汲み上げる宇宙船の水は施設内を効率よく循環し、大屋根に張られた水によって輻射熱が軽減され、気化熱による冷却効果も相まって真夏には自然のクーラーの役目を果たすなど、環境にもやさしい取り組みがなされています。

  • 尾張七宝の技を学ぶ、七宝焼体験

    名古屋市近郊に位置するあま市は、古くから七宝焼の職人たちが活躍した土地。「七宝焼アートヴィレッジ」を訪れれば、当時から伝わる尾張七宝の名作の数々を鑑賞することができます。施設内の工房では、七宝焼のブローチやペンダント、キーホルダー、家の表札まで、七宝の基本を学びながら自分だけのオリジナル作品を作ることもできます。

名古屋を旅する人の必須メニュー
「なごやめし」

名古屋の数ある観光コンテンツの中でも、訪れる人を大いに楽しませてくれるのが「なごやめし」と呼ばれ親しまれている、ユニークでバラエティーに富んだ独自のグルメ文化。中でも、今や世界的なスーパーフードとなった味噌やたまり醤油を核とした醸造文化は、この地に暮らす人々の味覚の原点です。土鍋でぐつぐつと煮込まれた熱々の湯気と八丁味噌が濃厚に香る味噌煮込みうどんや味噌カツは、旅の味わいをより深く印象づけてくれること間違いなし。

一杯目はそのまま、二杯目は青ネギや海苔やワサビなどの薬味を散らし、三杯目は出汁やお茶をかけてサラサラと。それぞれに美味なる“味変”を空想しただけで楽しい「ひつまぶし」。明治後期、名古屋の高級料亭で鰻の出前をする際、人数分のごはんをおひつに入れ、その上に刻んだ蒲焼きをまぶして届けていたことが、ひつまぶし誕生の由来とされています。100年前から愛され続ける人気グルメを、ぜひ地元で堪能してください。

名古屋に泊まった翌朝、ぜひとも体験したいのが、喫茶店のモーニングサービス。コーヒー1杯を注文すると、トーストとゆで卵、お店によってはサラダやデザートまで、「え?こんなにサービスしてもらっていいの?」とうれしい驚きがサーブされます。トーストにあんことバターをトッピングした「小倉トースト」は、一度味わったらまた食べたくなる思い出のメニューになるはず。

時を経て、より深まる美しい価値のために

施釉師・戸谷 航 氏

プレザージュ七宝ダイヤルの文字盤は、140年を超える歴史を持つ老舗「安藤七宝店」の工房でひとつひとつ丹念につくられています。釉薬差し、焼成、研磨それぞれにいくつもの工程があり、気の遠くなるような手間と時間をかけて生み出される尾張七宝。その製作技法の中でも根幹を成す「釉薬差し」という、1mm以下の繊細さが求められる重要な工程を手がけるのが、施釉師・戸谷 航氏。「瀬戸にある焼き物の専門課程がある高校で学んでいた私が、一週間ほどのインターンシップで安藤七宝店と出会い、ぜひここで働きたいと思ったんです。陶器と金属では、焼き付けたガラスの輝きがこんなにも違うんだと、新鮮な感動がありました。七宝は経年劣化が少なく、長い時を経てもずっと美しいままなんです。その点にも魅力を感じたのかもしれません」。入社18年目の今、戸谷氏の七宝への思いは、作品をつくるほどにより深くなっているという。

プレザージュ七宝ダイヤルの文字盤は、140年を超える歴史を持つ老舗「安藤七宝店」の工房でひとつひとつ丹念につくられています。釉薬差し、焼成、研磨それぞれにいくつもの工程があり、気の遠くなるような手間と時間をかけて生み出される尾張七宝。その製作技法の中でも根幹を成す「釉薬差し」という、1mm以下の繊細さが求められる重要な工程を手がけるのが、施釉師・戸谷 航氏。「瀬戸にある焼き物の専門課程がある高校で学んでいた私が、一週間ほどのインターンシップで安藤七宝店と出会い、ぜひここで働きたいと思ったんです。陶器と金属では、焼き付けたガラスの輝きがこんなにも違うんだと、新鮮な感動がありました。七宝は経年劣化が少なく、長い時を経てもずっと美しいままなんです。その点にも魅力を感じたのかもしれません」。入社18年目の今、戸谷氏の七宝への思いは、作品をつくるほどにより深くなっているという。 「プレザージュの文字盤をつくるためには非常に高い七宝の技術が必要で、その難易度はウルトラクラスです(笑)。ほんのちょっとしたことでピンホールができたり、色がひずんで薄くなってしまったりするので、かなり集中して臨みます。それだけに、極限まで薄い小さなダイヤルに、プレザージュのためだけに配合された特別な釉薬の深い青が美しく仕上がると、達成感もひとしおです。それが世界中でたくさんの方に選ばれ、評判を聞かせていただくと、本当に励みになります」。そう語る戸谷氏は、時折工房から出て店頭に立つこともあるという。「たまたま売り場に立った日に、お客様が自分の作品を買い求めてくださることもあって。とてもうれしくて『行ってらっしゃい』という気持ちで見送るんです」。今後は日常の暮らしのもっと多くの場面で使ってもらえるアイテムにも力を入れ、それに触れた人が七宝づくりの世界に興味を持ってくれるようになれば…と、その眼差しは少し先の未来を見つめている。

  • プレザージュの薄い文字盤の上に澄んだ単色を繰り返し塗ることで、色は深みを増し、刻まれた繊細な波模様が際立ちます。環境に配慮したセイコーのものづくり精神から、安藤七宝店ではプレザージュのために特別に配合した鉛を含まない釉薬を使用。釉薬は焼成後にわずかに縮むため、それを見越して周囲をやや厚めに形成します。

  • 生地表面の銀を磨き、輝きを出してから釉薬を差してゆく重要な工程。

  • 釉薬の元となるフリットを乳鉢と乳棒で丁寧に細かくしていきます。

  • プレザージュ七宝ダイヤルでは、薄い文字盤の上でも深く美しい青を表現するため、通常の七宝焼には使用しない、特別に配合された濃い色の釉薬を使用しています。

  • 釉薬差しを終えたダイヤルを、800℃という高温で焼成。長い試行錯誤の末に最高のプレザージュを仕上げる究極のレシピにたどり着いたそう。釉薬差しと焼成の工程を何度も繰り返し、七宝のムラを無くしていきます。

  • 電熱炉から取り出されたダイヤルは真っ赤に焼け、冷めていくごとに深緑から深い青へと変化していきます。

  • 完全に冷めてから専用工具で表面をならし、再び釉薬を差します。最初の焼成後(左)よりも最後の焼成後(右)は青が濃くなっているのがわかります。

  • プレザージュ専用の研磨機。水を張ったトレーには円形の砥石が並び、そこにダイヤルを押し当て、まず裏側を研磨。完全な平滑が得られたら、表側を磨きます。ここでも繊細な指先の力加減が求められます。

  • 完成したダイヤルを、不純物や欠点がないか丁寧に検品。厳しい品質管理をクリアしたダイヤルだけが、プレザージュになることを許されます。繊細にして究極の技術が、この時計の特別な価値を支えているのです。

110 Celebrating 110 Years of Watchmakeing

美しき宝を運んだ紺碧の海に、
永遠を刻む時の波

古墳時代に遥か海を渡って日本に伝わった七宝。江戸末期、尾張藩士の次男として生まれた梶常吉がその美しさに魅せられ、オランダ船が持ち込んだ七宝を研究して製法を発見したことから、尾張七宝の歴史は始まりました。七つの宝にも喩えられる美しき渡来品をもたらした大いなる海、その紺碧の大海原をイメージしたセイコー腕時計110周年記念限定七宝ダイヤルモデルが誕生。
文字盤に刻まれた模様は過去から今日まで絶え間なく打ち寄せる波を、幾重にも深く濃いブルーは永遠なる海の青を表現しています。さらには、鉛を含まない独自の釉薬や、ベルトには環境に配慮したレザーを使用するなど、セイコーのSDGsなものづくりをも体現しています。

今回の愛知への旅はいかがでしたか?どこまでも深く美しく、至宝のごとき品格を放つ「セイコー プレザージュ七宝ダイヤルモデル」。海を渡り、時を超えて育まれ成熟してきた美の歴史と、経てきた時代を彩った人々の情熱の物語に想いを馳せるひとつのきっかけになれたなら、これほどうれしいことはありません。4回にわたってご案内してきた、プレザージュに宿る美の起源を巡る旅。またいつか、新たな感動へご一緒できることを楽しみに。